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熊本・水俣ほっとはうすミツバチ上映会

胎児性水俣病患者や障がい者が仕事をしながら、
水俣病や障がいについて「 伝える」ことを目的に作られた
施設「ほっとはうす」にて。

 

今回のみつばち上映会を運んでくれたのは
Le jouhouの琢也シェフと
ほっとはうす施設長のタケ子さん。


みつばちの上映も、ダンスとリズムの時間も
どこまで皆さんと感じられるのか、緊張したけど

施設長のタケ子さんは
「手も足も動かなくても、
動く人たちよりずっと、感じる力があるの」
と教えてくれた通り、
じっと、最後まで映画を観てくれた。

みつばちダンサーのダンスと太鼓の音は
患者さんたちの喜びのパワーとなって
患者さんの普段あがらない手を、それも、両手を、押し上げた。
喜びと楽しさの表れだった。

 

施設長タケ子さんが、
何度も「K子さんの手があがったのよ!」と言ってた。

喜んでもらえたことが、嬉しかった。けど
どこまでいっても、やっぱり切ない気持ちは拭いきれず
これっぽっちしか、力になれてないことを申し訳なく思ってしまった。

 

上映前に寄った「水俣病展」で見た
痛みに耐えてひっかいてボロボロになった壁の後や
狂い踊るような患者さんの映像、

ひとり部屋に帰っていく患者さんたちの背中に、
どれだけの苦しみと痛みと孤独感だったのか、、想像を絶する。

 

踊り狂い死んだ猫たちや
患者さんの狂躁状態の映像は
みつばちが踊り狂い死ぬ姿と重なった。

 

どちらも、神経を破壊されている。
そして、小さないきものから、死んでいる。

水俣病は、突然に身体を襲ってくるのだそうだ。
今はまだ歩ける患者さんたちも、いつ、酷くなるかわからない。

なんの力にもなれず、申し訳ないとおもっている自分にも
情けない気持ちで、どう言葉にしたらいいのかわからずにいた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この夜、自由参加で琢也さんの再訪、歓迎会を開いてくれた。
普段参加しないという患者さんまでもが集まってくれた。

そこに参加してくれたNさんの6年前の忘れもしない姿は
琢也さんが一緒に過ごした夜のひどい狂躁状態の時だったと聞いている。

その頃は夜が明けると、まだ話もできたそうだけれど、
今は、歩くことも、普通に話すこともできない。
そんな身体で、お祝いのケーキを買ってきてくれた。

どうやって買ってきてくれたのか、
それを想像すると、今でも胸がいっぱいだ。

私たちは、くだらないことで喧嘩するし
自分の立場を主張し合う。
なんて、ちっぽけなんだろう。

赦し、支えあい、生きる。
水俣病と闘ってきた皆さんの強さに、尊敬しかない。

 

小さな町なのだから、当たり前なのかもしれないけど
店の奥の席にはJNC(元チッソ株式会社)らしき人たちがいたし、

最後に連れて行ってもらった
水俣生まれのマスターが営むバーカウンターでは
昔、患者さんの支援をしていた人の話しになったのだが

マスターはその話しの流れの中で、
「JNC(元チッソ株式会社)は悪いことしたよ。
でも、今は、いいことだってしてるよ。」と言った。

カウンターに一緒にいた水俣病患者のKちゃんは
「うん、うん、わかるよ」って言ってた。

Kちゃんは、怒らなかった。
こんな目にあっているのに、
いつ、狂躁状態が襲ってくるかも、わからないのに。
どんだけの赦しなんだろうか。

究極の赦しに、悔しくて、悲しくて。苦しかった。
水俣に生きるとは、こういうことが日常だ。

家族の死も、狂躁の日々も、ひどい差別も、
全部受け入れて、
水俣の人たちは「もやい直し」を掲げ、
あたらしい未来をつくろうとしている。

 

 

 

でも、まだ、まだ苦悩も苦闘も続いていた。

水俣病は、教科書に出ていた過去の公害事件と思っていたし
子供の私にとってそのページは、とても怖くて避けていた。

今まで、やっぱり、患者さんの姿が怖くて目を背けていた。

過去のことだと思ってたけれど
水俣病は
何も、終わってなかった。

食べた魚で直接に水俣病を患った人たち、
Kちゃんのように、お母さんの食べた魚で、
水俣病を背負って生まれた人たち。
水俣病とわかるまで、
感染る奇病とされ、隔離されてきた人たち
原因がわかってからも
水俣病と認定されなかったり、
認定された人とされなかった人で分裂したり
ニセ患者と言われたり。差別はずっと続いた。

今、まだ、被害の全体像は不明なままで
急に訪れる身体の異変と、まだまだ残っている差別と
闘いながら生きている。

有害だとわかっても、ずっと流し続け
36年もの間に堆積したメチル水銀含むヘドロの厚さは
4mに達するところもあったそうだ。

思った以上の被害数に政府も企業も賠償を恐れて、
健康被害を受けているのに
水俣病と認められない人たちは15000人もいる。

訴訟を提起し長い闘いが続き、ようやく
健康被害の新たな申請数は、、なんと、60000人。

どうにもならない身体で生きる日々を
今も、過ごしている。

その闘いの歴史は、ここに書ききれないほどの量だ。

 

 

「いのちはのちのいのち
のちのちのいのちにかけられた過去からの願いによって生きている。

わたしのいのちは、わたしのいのちではない。
わたしのいのちだからと、勝手に扱っていいのではない。

水俣病患者たちは
毒を引き取り、自然界の苦しみを引き取り、
これからの命のために、生きている。
共生があるのなら
共に苦しみも感じて。

水俣病事件は、病気発生からではなく
食べる、という行為から始まった。
人間は、魚や豚や、植物、命あるものを食べて
命をつないでいる。
その環、食べてつながる命の環に対して起きた事件だということ。

そんな38億年という規模の話だ。
すでに政治的レベルを超えている。
38億年前に、政治なんてないのだから。」

漁師であり、水俣病患者である緒方正人さんより。
水俣展は、http://minamata2017.strikingly.com
12月10日まで。

 

ポスターは子どもの頃の半永さん。
琢也さんいわく、今も、すっごくいい顔して笑うんだそうだ。
水俣市立 水俣病資料館では半永さんの写真展開催中。
その目線に、心がじんわりしてきた。
ぜひ。一度。

http://www.minamata195651.jp

 

【水俣病の歴史概要】

1914.大正3年→ 硫安の製造開始。ヘドロが海に流れ出し漁業被害が始まる。
1923.大正12年→ この頃から、漁業組合が漁業補償を要求。
1932.昭和7年 水俣工場でアセトアルデヒドの製造が始まる。
メチル水銀が含まれた廃液をそのまま海へ放流し始めた。

4年後

1936.昭和11年 新潟でもアセトアルデヒド製造が始まる。
廃液を阿賀野川へ放流。

1939.昭和14年 第二次世界大戦

1940.昭和15年 イギリスでメチル水銀中毒の病像を確立

1941.昭和16年 塩化ビニールの製造を開始し、メチル水銀流出。

同年  母親のお腹の中で水俣病となり、生まれた子供が誕生する。

太平洋戦争開戦。

1942.昭和17年 4歳の水俣病患者が発生

1951.昭和26年 貝類、海藻類が減少。クロダイ・スズキなどが浮き、ボラが獲れなくなる。

1953.昭和28年 水俣湾周辺で魚が浮き、猫が跳ねたり回ったり狂い踊り、海鳥やカラスが舞い落ちた。

続々と、原因不明の奇病患者が増えていく。


1956.昭和31年
「死者や発狂者も。水俣に伝染性の奇病」と西日本新聞が報道。

8月。熊本県が熊本大学に原因究明を依頼。
11月。熊本大学が汚染源がチッソ水俣工場の廃水が最も疑われる。と結論。



その一年後。

1957.昭和32年
水俣湾の魚介類を猫に食べさせ実験し、10日後に毒性を実証。

でも、国は全ての魚介が有毒化してるわけじゃないと認めなかった。
漁民の半数が廃業。
漁業組合員700名が座り込み抗議。



1958.昭和33年 厚生省が発生源は水俣工場の廃水との見解を発表したがチッソ(新日窒)は否定。

どんどん増えていく奇病患者。


同年、熊本県が水俣湾内での漁獲を厳禁する。
廃水ルートを変更し、水俣川河口へ。


すると、今度は、河口付近から不知火海沿岸へ水俣病患者が発生。


1959.昭和34年
通産省が排水を中止するよう行政指導。


チッソは、有機水銀は否定しつつ効果のない浄化槽を設置し、再び、水俣湾へ排水。。。

研究は進み、原因がアセトアルデヒド酢酸工場から出る有機水銀と確認するが、
チッソ株式会社は認めず、熊本漁連によるデモや、漁民の抗議行動が頻繁になっていく。


一方、市長、市議会議長、商工会議所、農業、新日窒労組、地区労などの28団体が
『排水を停止したら市民全体の死活問題だ!!』
と知事に陳情する。

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漁民 対 水俣市民となっていく。

そして、、
36年後
1968.昭和43年。


やっと、チッソ水俣工場は当時のアセトアルデヒド製造設備を停止。

政府が水俣病を公害認定し、メチル水銀が原因と断定する。
以後、未だに闘いは続いている。

被害者数も、埋め立て材劣化によるメチル水銀流出のことや
これからの水銀採鉱、水銀添加製品や水銀使用の製造。


輸出入のことは、はっきりと決まってない。

水俣病も、水俣から始まった公害問題も、
まだ、終わっていない。

 

カミニウモレタものがたり・感想&PHOTO

みなさんのおかげで、両日、満席となりました。
お断りしなければならなかった方々、ごめんなさい。

あの時間と空間をご一緒いただいた皆さん
遠くから応援していただいた皆さん
本当にありがとうございました。

スタートから多くの課題を抱え、日ごと、不安も募っていく中
制作環境はいつも以上に慌しく、とても焦ったり、

私たちが観た神戸公演から、どんどん変わっていく作品への向き合い方や解釈に戸惑い
皆さんにどうお届けしたらよいのか、イメージできず、
この難しさは最後まで付きまとい、
それをも含めたライブ公演でした。

「個々」がつながることに対して、まだまだ未熟な私たち。

しかし、その難しさを受け入れ、演じきった役者魂と
踊ることからさらに一歩踏み出し乗り越えた、舞台エネルギーは凄かったと思います。

「自分らしく生きる。」とは、なんなのか。
らしさを活かしあうとは、なんなのか。
終わってからも考えされられる日々です。

立場を越え、世代を越え、国境を越え、
役を割りふるのではなく
個々の「らしさ」と共鳴しあえる世界に。

舞台の上も、現実の世界も同じ。
奪い合わず、これ以上、できるかぎり環境を汚さず、
知らず知らずに苦しめているかもしれないあらゆることから目を背けずに、

私たちの表現は、まだまだ、これからもっと、進化していきます。
そしてまた、いつか、皆さんと集い感じる空間を新たな気持ちでイメージしていきたいと思っています。

沢山の感想をいただきました。
フォトグラファー砂場さんの写真と共にご紹介させていただきます。

本当にありがとうございました。

 

☆想像を超える内容で楽しかったです。主演の方の身体能力にビックリでした。
意表をつかれる演出の中に生かされていることの感謝の気持ちが伝わってきて、大変感動しました。
また、ぜひ上伊那で公演してほしい作品です。
(49歳男性)

☆自分らしく生きる。自分がどうかと考えさせられました。
戦争の悲惨さ、その中で生きる苦しみを感じながら少しの光景に幸せを見出した2人だと思う。
この悲しい出来事を繰り返したくない。日々を大切に生きる。
(36歳男性)

☆とても不思議な世界観でした。
幼いながら沢山の事を抱え、懸命に前向きに生きた強さ、
また、今自分が抱えている悩みが小さく、たいした事ないなぁと思えました。
今日、来て良かったとなぁと思いました。
“自分を生きる” 大切です。
(30歳女性)

 

 

☆題名にひかれ京都からはるばる来ました。
紅葉がきれいでとてもすてきな所です。
日がくれるのと共に舞台がはじまり、とてもすてきでした。
はくりょくがあり、みていて涙が出てきました。
とても考えさせられました。感動しました。(40歳女性)

 

☆私一人で物事を変える事はできないけど、私一人が変わる事ができる。
自分のツレの言葉が思い出される時間でした。(37歳男性)

 

☆自分らしく生きることを強く伝えてくれた作品でした。(37歳男性)

 

☆会った事はないけれど、主人公の2人の心が目の前で踊っているようでした。
とても良い顔をしていました。お疲れ様でした。ありがとう。(29歳女性)

 

 

☆まっすぐな芝居、心、あり様が響いてきました。世界の大きな流れは、戦争の広がりがおそろしい速度で渦巻いていますが、
小さな存在であるひとりひとりの熱い愛の心がある限りあきらめることなく生きてゆこう。(68歳女性)

 

 

☆始まりから最後まで、自分の心の中の旅に出かけたような気分でした。キャスト・スタッフの皆さん最高!大好き!(35歳女性)

☆戦争のいらない世界。みんなが平和に笑い、悲しまない世界にしたい。この舞台を広めてほしいです。美しいすごく素敵な作品でした。ありがとうございました。(40歳女性)

 

☆戦争の切なさを感じることができた。
(14歳男性)

 

 

☆五感で感じるってこういうことなんだと思いました。
悲しくて嬉しくて色々な想いで胸がいっぱいになりました。
ステキな舞台を観にこれて本当に良かったです。
また伊那谷で観れる日を楽しみにしています。ありがとうございました!!
(26歳女性)

 

☆今日感じたこと、これからの私で返していけたらと思います。(31歳女性)

 

 

☆全ての神様に感謝して、自分らしく、今以上に自分の殻を破って生きていきたいと思います。
久しぶりに心が騒ぎ、皆さんから生きていくエネルギーを頂きました。有難うございました。(68歳女性)

 

 

☆新鮮なオドロキです。平和心底守りたい。(67歳男性)

 

☆これから日々を送る中で、今回の場面場面を思い出すかなと思う。勝手に涙が出た。なぜだろう。
生きることの尊さを再確認しました。(32歳女性)

 

 

☆身体一杯表現していて涙が出ました。あなただから出来る平和の種まき、これからも続けて行ってください。
ずっと応援しています。(40代女性)

 

 

☆色々な表現がある舞台だと思いました。中川村、繋がりが、舞台を通じて感じました。盛り沢山!
始めの外での踊り、表情の表現がとても良かったです。舞台演出、美術も良かったです。

 

 

☆演出、演技、踊り、セリフ、楽器、照明 すばらしかったです。ありがとうございました。大変な時間のやりくり、エネルギー、多くの悩みなどあっただろうと思いながら見させて頂きました。最後のダンス、黙祷よかったです。(58歳女性)

 

 

 

☆日本とドイツの戦争を回想するシーンが2重になっている所、そしてセリフが呼応する。
涙、汗、火、風、音楽、振動や光、すべてのものが均等に身体に入ってくるようでした。
希望、夢、悲しみ、苦しさ、愛、とでも同じように受け止めることができなければなと思いました。(38歳男性)

 

 

 

 

 

 

 

場所:サウンドホールの暮れてゆく時間と、モノガタリの進み具合がピッタリ!

脚本:アンネ・フランクと禎子のベクトルが無理なく交差していくので、世界観に引き込まれました。セリフの量ちょうどいい。

演技:セリフの無い部分でも、二人共、丁寧に表現をされていて、説得力があった。(まばたきするのもったいない)
「あなたは、アナタを、自分を生きていますか?」というなげかけと、
自由に飛んでく折鶴みたいに生きたかったであろう二人を想いだすと今でも涙が・・・。

音楽:録音ではあの世界は創りだせないだろうな…。すばらしい。
衣装:糸がこの衣装になれて喜んでいる感じ。衣装も演者と一緒に演技してた。

学校とかで演ってほしいと思う。

 

☆100年先まで、そのもっと先まで思いを届けたいと感じました。世界が平和でありますように!(42歳男性)

 

☆演技、音楽、光、すごく迫力がありました。
平和のためにそれぞれの立場で出来ることを精一杯やっていくことが大切だと感じました。(23歳女性)

 

 

 

 

☆波動が凄かった!素晴らしい芸術作品でした!(41歳男性)

 

☆感謝。過去に起きた悲しいことには目をそむけたくなりますが、向き合うととても苦しい。
アンネとさだこさんも物凄い苦しみと向き合って生きて辛かっただろう。
でも、望んでいる事は同じ。世界平和なんだな。ひとりひとりが穏やかに暮らす世界。(35歳女性)

 

☆ひとりひとりの想いや気持ちが素直に伝わってくる素敵な作品でした。
(50代女性)

☆お話の中から風景が描けました。ありがとう。(37歳女性)

 

☆同じ土地に住む人たちが、平和への強い願いでつながる、いい記念日(記念火)をつくってくれたと思います。

踊りに涙が出ました。ありがとう。(34歳男性)

 

 

☆ずっと幸せでいたいです。(10歳女性)

 

☆車いす連れで来させていただきました。いろいろお手間をおかけしましたが快く受け入れてくださりありがとうございました。
今日からまた、平和への祈りを拡げて生きたいと思いました。改めて、中川あったかいなあと思いました★(39歳女性)

☆輝きを感じた。ネガティブな物のイメージも出来るのだけど。今自分達のおかれている所、見つめ直して。(35歳男性)

 

☆いろいろな角度から考えさせられる演技でした。生きることの大切さを考えさせられました。
お互い平和を大切にし、頑張りましょう!(69歳男性)

☆自由な大地 自由な宇宙 平和な祈り(66歳男性)

 

 

 

☆夕日、風、火、土、木、におい、気温、日のあかるさ。すごく感じた。ありがとう。
今、生きている、この時、この出会いに本当に感謝。
息づかい感情、言葉に涙が出た。
また明日からがんばれるパワーをもらった!(33歳女性)

 

 

☆セリフのひとつひとつ、動きや音のひとつひとつに感じるものがありました。
「自分」を生きているか。みつめながら生きたいと思いました。
劇中も最後のアフリカンも、全力のおどりは自然と涙が出ました。ありがとー!(28歳女性)

 

☆すごく考えさせらたし、感動しました。
いっぱい言葉があるわけじゃないのに、何か伝わってくる気がして感動しました。
自分を生きていきたい!
皆で輪になって最後まで見て感じて体験して、楽しかったです。
とてもすばらしい舞台でした。(29歳女性)

 

☆舞台の雰囲気、音楽、静寂、空気、色とても美しかったです。とても難しい脚本で考える時間が必要でした!笑
言葉が少ない分、自分でかみくだかないといけないけど、それって必要な時間だなぁと・・・。(25歳女性)

 

 

 

☆「あなたはあなたを、自分を生きていますか?」のセリフ、言葉がぐっときました。
セリフがたくさんあるわけでないのに、感情が伝わってきて、すごかったし、感動しました。
ありがとう。すてきな舞台でした。
(18歳女性)

 

☆深く感じることが有り、色々と気付きを有りがとうございました。終りのもり上がりも流石ですね!
今後のご活躍をお祈りいたします。(66歳女性)

 

☆最初は何を伝えているのかがよく分からなくて、動きや表情から読み取ろうとしていました。
アンネフランクや佐々木禎子さんのことはなんとなく知っている程度でしかありませんが、
戦争の影響で自由に、自分らしく生きることができない当時の人々のつらさ、悲しみを感じられた気がしました。
戦争のことを、私はあまり知らないので、学ぶ機会があったら、しっかりと向き合い後世に伝えていけたらと思います。
私も今の世の中を自分らしく生きていこうと思います。(19歳女性)

 

☆いきててよかったと思った。
せんそうは、ぜったいしたくないと思った。(10歳女性)

 

 

 

☆命がここにあること、肉体があること、生きたいと願ってここにいること、生きていることが熱かった。
10歳の娘と観られたことに感動していました。ありがとう。
(40代女性)

 

☆本物の夕暮れと落ち葉、紅葉した木を利用した演出がとてもステキでした。
シンプルだけど、空間1つ1つに心のこもった細やかな演出が良かったです。
言葉は多くなくてシンプルなのに、たくさんの想いが伝わってきました。
都会でこの舞台をするとき、外の桜の木のような自然をいかした演出で感動を伝えてほしいです。きてよかったです!(50代女性)

 

☆とてもよかったです。みんなでがんばっているということがとてもつたわってきました。ありがとう。(14歳男性)

 

☆メッセージが短い中にぎょうしゅくされて、感覚にうったえるかんじが良かったです。こわいかんじとか(42歳男性)

 

 

 

☆今日は阿智村を訪ねる旅の帰りに寄りました。1日が平和のキーワードでまとめられました。
今まであまり接したことのない形の主張に出会えたと思います。(64歳女性)

☆受け取れる分受け取りました。有難うございました。(47歳男性)

 

☆子供たちが演劇に出るようになり、観ることで学べることがあるといいなぁと思って来ました。
うまく言葉にできませんが、来てよかった。素晴らしい舞台をありがとうございました!!(40代女性)

 

☆自分を生きているか?ウーン。どう言えるのかな?
本日、中国の臓器移植の映画を見てきた所で、命について、平和について、まだまだ考えて生きたいと思うところです。
ひとりひとりの小さな幸せを守りたいと思いつつ。(64歳女性)

 

 

 

☆心に響きました。すばらしかったです。来て良かったです!
ありがとうございました。(57歳女性)

☆たくさんのありがとうに!(65歳男性)

 

 

☆時間が経つのがあっという間でした。どんなラストになるのかな?と思ってましたが、それだけ観終わりたくないというこちらの心情の反映なのかもしれません。良いものを生で観る、感じることの大切さ、田舎だから「文化」に触れることがなかなか出来ないことにあきらめもありましたが、こんな機会がもっと増える田舎にしていきたいと思いました。(34歳女性)

☆皆さんの思いを見させていただきました。ありがとうございました。(50歳男性)
☆よく理解できないとこもあったが一生懸命さは分かった。(73歳男性)

☆あっというまの一時間でした。僕ももうちょっとちゃんとしようと思いました。(44歳男性)

☆とても良かったです。ありがとうございました。(58歳女性)

☆ありがとうございました。この言葉しか見つからないよー。これからもありがとう。(40代女性)

 

 

上 photo by eichi sunaba

 

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公演の合間に、神戸メンバーにみずきの畑で古代小麦の種まきをしてもらったり。

伊那谷ツアー、お決まりの日本一の谷へダイブ!も。

ちくちく夜なべも、農作業も、火のある時間も、小さな動物も、みんなで作ったお米も、同志からのお届け野菜も、ビバ!アルモンデ★ありがとう。

はからい。衣装はじまりました。

あるもんで作家 みーちゃんと、時代を生きた布たちと衣装制作はじまっている。

 

なぜか私も、瑞希も、夏音も、お宮詣りと七五三に着た着物が出てきた。42年前のものだ。

みーちゃんのアルモノみっけ力で見事に組み合わさり、3代目は舞台衣装になるのかな?!

そんな感じであれやこれや、
絶対のない「コンセプト」に翻弄されながら、いろんな形が生まれている。

 

カミニウモレタの、「カ」「ミ」だけにも、いろんな意味が込められいて

いろんな意味だから、関わる人それぞれ、見える角度、感じ方が違うので、
みんな悶々としながら、決め付けないそれぞれのイメージを寄せ合っている。
作者の章代ちゃんも、主張をしない。でも、大切にしていることは、何度も確認しあい、心に刻む。

 主導者を立たせず、上から下からじゃなくて真ん中から輪を作っていくような感じ。何色にも変化するし、絶対がない。必要なときに、必要な分、図らないタイミングで出会う存在が活かされあう。マネージャーがカミさまだと、作者章代ちゃんが言ってたけど、そうかもしれないな。

だいたい、いつも、こんな感じのものづくりだ。

結局は、最後、神さまのはからいによる。

もしかしたら、全てそうなのかもしれないな。
イメージしているところから、すでに、はかられてるのかもしれない。

カ(火) ミニ。。。と言えば・・・

まったくもって難関だった火のこと。
今井君が、長野はファイヤーのスペシャリストがたくさんおるじゃん。と。
あっ!!!!!と思い出したのが

瑞希の兄ちゃん的存在。
muku。

瑞希の畑の相談役でもある。

mukuのところに行けば
わたしも、みずきも、なんというか、もう、これについてはもうなんとかなっちゃうんじゃないかという
妙な勝手な安心感。・・・
とにかく、器用なのだ。

実用的でいて、なおかつため息でちゃうほどの美しいアートなものを作り出す。
先日は、竹だけで作ったすんばらしい鶏小屋が
雑誌ドゥーパDIY大賞にてエコロジーアイデア賞を受賞。

誕生日にくれた火吹き竹とトング入も、このとおり。

あぁ。いてくれて良かった。

 

言葉。

【カミニウモレタものがたり】

この言葉を書けるのは、彼女しかいないと思った。

筆アーティスト  もたいえみさん。

書道教室の先生でもある。

教室に展示された生徒さんたちの書は、自信に満ちあふれていて、
すごく気持ちがいい。
いくつもの賞もとってるらしいけど、えみさんの大切にして来たことは
賞をとることじゃなかったという。

深く深く突き詰めて、向き合う時間。
そして、書くことで世に表す。
その言葉の持つエネルギー、言霊。その意味。

言葉は、世を整える。と、最近、教えてくれた。

神代文字を数百書いてたというけれど、こんなに言葉と身体で向き合っている人を、他に知らない。

彼女自身が、宇宙のような人でもあって
壮大な想像力から意識へと降ろし、意識を筆先に持ってくる。
そのエネルギーがすごい。

今回は、目を瞑ったまま、ひとつひとつ降ろしてくれたそうだ。

 

 

 

 

 

待つこと。信頼すること。

突然のポスター撮影が終わり

章代ちゃんは、神戸へ戻った。

今回の製作には、いや、いつだってそうなのだけど

特に意識させられる、待つこと。信頼すること。

 

 

章代ちゃんは、もっと人を信じてみたい!と

女1人。ヒッチハイクで帰るというので

暗くなったパーキングで、待つこと20分。

 

岐阜、名古屋ナンバーが続きまして

きた!なにわナンバー!!!!!

すんなりオッケーしてくれました。

 

ええなぁ。。。

人を信頼する。ええなぁ。

 

空間装飾といえば、やはりこの人。


先日、逢えなかったima-cocoの今井くんが会いに来てくれた。

あまりに広い舞台空間のことを話すと

「めちゃくちゃ面白いじゃん!よし瓦礫ツアーに行くぞ!」と。

アドレナリン出しまくって、もう彼の中にはイメージができてる様子。

瑞希が子供の頃から可愛がってもらった親戚同然の仲間。
その心強さに、涙が出た。

神戸のアーティストたちと伊那谷のアーティストたちの融合。共演。共創。
かなりすごい舞台になりますぞー!!!!

ポスターイメージ_ima-coco

章代ちゃんと伊那谷での初リハーサルの後
衣装が決まり
タクラマカンで舞台イメージも固まってきたのに

最後まで全然浮かばなかったのが、ポスターだった。

広島に行ってから、もっと早くできる予定だったのだけど
瑞希の心の葛藤は、私の葛藤でもあって
イメージが曇っていた。

神戸との距離感も、メールのやり取りももどかしく
不安や焦りも募ってきていたのもあるかもしれない。

章代ちゃんは、今回の舞台づくりのテーマ「時を待つ」ことだと何度も言っていたけど、私はそう言われると余計に焦っていた。^^;苦笑

 

感じることはとりあえず置いといて、順番を変えて
形から作り出すことだってできたかもしれない。

でも、それこそ、台詞と気持ちのふりと同じように、
広島や禎子ちゃんやアンネフランクの情報を元に、それ風にしたり、
前の舞台から引っ張ってなんとなく作ることもできるはずだ。

でも、ふりじゃない。

みんなの中から出て来るものと
私の中から出るものが重なりあって融合される「時」を待つしかなかった。

向かったのは
かれこれ、18年ほどの付き合いになる今井くんの
自然体験ヴィレッジ・民泊 ima-coco。

伊那谷の景色が広がる素晴らしい自然の中に
あちこち愉しめる空間を作り上げてしまうアーティスト。

彼の「今ここにあるもの」を活かす装飾センスも、素晴らしい。
これまで数々の作品やイベント、ステージの装飾を助けてもらって来た。




一年に数回、模様替えが行われていて
行くたびに何かが変わっていることもある。

久しぶりに行ってみると、彼はお出かけ中。
新しく立派なティピが建っていて、また、くつろぎ空間が出来ていた。


今井くんに電話をしてみると、「ぜひティピの中に入ってってよ。」という。

この時点で
章代ちゃんが神戸に戻るタイムリミットが迫ってたけど
三人で入り、ソファーに座ってみた。

それから、数分後。
ここに至るまでの様々なドラマが頭を巡り、ふと、イメージが出てきて口にすると
瑞希も同様のイメージを出してきた。

章代ちゃんも、「いいね。面白い。」という。

そこから、ティピを飛び出して

思いつくままに、作り、撮影した。

なぜか、アンネと章代ちゃんと、禎子ちゃんと瑞希が被った。

もう、どんどんこの身体に吸収しているんだと思う。

イマココにあった空間のおかげで
もうすぐポスターも完成です。

空間装飾_タクラマカン

今回の舞台は、サウンドホール。

初のリハーサルを行ってみると
課題が山積み。
いつもそんなに感じたことなかったのに
舞台にしてみると空間が、あまりに広いことに気づいてしまった。・・・

舞台を決めてから、ここには絶対に相談に行こうと決めていたのが
「タクラマカン」&「ima-coco」。
空間装飾の天才たちだ。

翌日、章代ちゃんと瑞希と三人で早速向かった。

タクラくんは「しあわせな景色を切り取る」額縁屋やさんでもあり、店舗やさまざまな空間のプロデュースもする。
そして眠っていたもの、朽ちたものハイセンスに蘇らせる。

お店に入ると
あれも、これも、ほとんどが舞台のイメージと重なるものばかり。

不安が一気に去った。

タクラくんに内容を話すと
「日本的だよね。与えすぎず、ちゃんと自分で感じてもらうところが。」と言って

賛同してくれた。
めちゃくちゃ、心強い。

 

衣装_アップサイクル作家 gato みーちゃん

夏至の日、突然に始まった「エネルギー解放ライブ」に
誰かのタンスに眠っていた白い布や白い服たちを使って表現したgatoのみーちゃん。



このライブが今回の舞台づくりに大きな流れを作ったのだと思う。
彼女は衣装を担当してくれることになった。

彼女のあるもの活かすセンスは、ものすごい。
もっとすごいのが、それを見つけちゃった時の彼女のテンション。
キラキラキラキラ!!!!光る光る。

みーちゃんとの初打ち合わせの夜。
全然決まらなかった、衣装イメージが固まった。

みんなのイメージが、一つの形になっていく。
そして今回も、脱ファストファッション!

リメイクならぬ、アップサイクルでの舞台。あー。きゅんきゅんする。

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