森の冒険ミュージカル&マルシェものがたり

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森の演奏家かえるちゃんと、精霊が舞うエリア・・・

ここも、以前は、この写真以上に荒れ放題だった所。
今では踊れるほどになったんだよなぁぁ。
みんな、本当によく頑張ったよなぁぁ。



次のステージは
「ほったらかしの森」

こちらのアーチは、大工のハルと、アフリカン太鼓奏者のよっこい作!
これが、本当に力作でびびったー!
「ほったらかしの森」をテーマに
背景に溶け込み
ビスを持ち込まず、かつ、安全に。
大工根性と感性光る素晴らしい作品。

ほったらかしの森ができるまで…

この森と出会い、日本各地の森が荒れていること、その理由など
いろんなことを感じさせられたんだけど
視点を変えると、なにが悪くてなにが正しいのかなんてないんだということに気がついていった。
例えば、針葉樹ばかりの森林を広葉樹に変えなくちゃ!とか
森林活動といえば、植林!とか、なんとなく聞いていた森づくりも、それだけじゃなかったのだった。
明日明後日にわかることでもないし、私たちが生きている間に結果は見えてこない。今、残された木々もゴミも、全て、先人が次世代に残したものであって、これら各地の様々な結果から、何をどう残していくのかイメージして、私たちも、未来に託していくしかない。
今、私たちが生きている間、どうしたら森に寄り添えるのか、その方法を探しながら森づくりを進めていくことが、今のところの答え。
森は、全ての命の源。
誰もが関係している ほったらかしの森の話。

一番最初に浮かんだテーマだったけど
作品にするのが、一番難しかった。

ほったらかしの森にも展示されたゴミ。

断片的に浮かんでくる詩やお話。
でも、
なかなかパズルがはまってこなかったところに…

ミュージシャンであり、建築家であり、大鹿村育ちの天麻が、そこまでできていたあらすじや、詩から、言葉とビートを紡いでくれた。思いがけず、ヒップホップが入ってきた!




朗読は
フリースクール、英会話の先生であり、村民劇でも大活躍の
阿智村のノリがぴったりだった。

多くの人が知らない森の事情をどんな風に伝えたらいいのか。
どんな風にしたら、お話の中に入りこんでもらえるのか・・・。ノリのおかげまた、ピースがはまり形になっていった。


音楽担当は太田裕士。即興でアコーディオンやゴミパーカッションを奏でた。音楽で空間をつくる天才だ。
毎日のように森に通い、森がみんなを迎えられるようにと準備をしながら、森との時間を過ごし、ゴミを掘り出して、ゴミを楽器にし、見事にほったらかしの森の音を生み出した。

アコーディオンは、神々の棲む里 木沢小学校からお借りした。皆さんの活動で、中川村と遠山郷が繋がっていくのが嬉しいと、校長、会長たちのエール付。

ダンス

そして、ここには絶対に加わってほしかったダンサーとコンテンポラリーダンス。

この森で一番触れたヒノキをダンスにする。という、一番の難題。

希望を持って植えられたこと。どれも同じような背格好で伸びてきたこと。
お日様が当たるようにと枝払いされたこと。
だんだんと手入れされなくなったヒノキのこと。混み合って窮屈に、ぶつかり合ってきたことなどを表現した。振り付けはミズキと夏音。


人工林って?植林?
ひのきって、どうやって育てているの?
間伐ってなに?
考えてみれば、知らないことだらけの
「ほったらかしの森ヒノキチーム」のスタート。

今回のプロジェクトは夫婦参加、親子参加の家族参加が結構いたのだけど、「ほったらかしの森ヒノキチーム」には、偶然にもパートナーが林業に関わっている人が二人もいて
夫婦間で学んだりしながら、作品の意味を体に心に落とし込み、森での練習を繰り返し作品を育ててくれた。


大地に根を張れず 腕を大きく伸ばせず

闇に潜めて生きている

ほったらかしの森

雨はやがて僕らを連れ去り
世界を飲み込むだろう

時代の変化によって、僕らの価値はなくなってしまうのか。
文明の進歩によって、僕らの活きる場所はなくなってしまうのか。

ほったらかしの森



舞台となる森の状態もできる限り、元のままに、足元悪い中で踊り、朽ちた木々たちに埋もれていく。

見事に朗読、天麻の絵とラップ、ダンスが融合し

子供たちも食い入るように、この世界に入ってくれた。

ダンスで涙が溢れてきたという声も聞いた。
もちろん、森プロメンバーでも何人も泣いたダンスだった。


そして、いよいよ
森のおまつり広場へ